ここ3日で2回・・・。

いつか上りがなくなった帰宅時にやってしまいそうで怖いです・・・。

寝過ごすと、私はそのまま乗り続けてみよう!!と思う派です。よっぽど直後に切羽詰った用事がなければそのまま3,4駅くらい乗って、元の流れに戻ります。ちょっとした冒険気分を味わいます。電車に乗っていて何言っているんだ、という感じですが。

最近の私の頭の中の大部分を占めていること。
それは言葉は「発信者」のものか「受信者」のものかということです。
まだ言葉にできる段階まで自分の中で整理ができていないのですが。
一応想定している状況は本や新聞などのマスメディア
と呼ばれるような媒体を介して発信される言葉についてです。
たとえば新聞。新聞上の記事に載せられている言葉は主義・主張はそれぞれの新聞にあるにしろできる限り事実をそのまま伝えようという意図があると仮定します。その言葉を受け取る人には多様なバックグラウンドを持つ人がいて、それぞれ一人ひとりにとってすべて違う意味となりうる、と私は考えます。となると、言葉は「発信者」から確かに発せられるけど、結局は「受信者」に受け取られた瞬間に、もしくはその人が解釈した瞬間に、その意味として「言葉」が完成するのではないか、と思います。
でも「発信者」とどちらかがならない限り、この状況は始まらない。

うーん。うまく書きあらわせてない・・・。

またいつか書きます。
というパターンで次があったケースはこのブログにおいて非常に少ない。

コメント

nophoto
klov
2006年7月26日8:50

>「発信者」「受信者」
面白いですね!ただその新聞の例で言うと、「言葉」というよりも、そこで伝わる「事実(とされているもの)」を受け手側がどう解釈するかということではないかと思うんですが。

逆に言えば、事実とは言葉で表されることで初めて実効性を持つものだとも言えますね。

向井みのる
向井みのる
2006年7月27日0:32

確かに「事実」をどう解釈されるか、というとり方もできます。私はその「事実とされているもの」というのがどうも引っかかっているのです。「伝える」という時点で2次的な情報である、ということは絶対です。新聞などの紙面に載って、それが受け手に届いていない時点ではまだ「事実(とされているもの)」ではなくただの「言葉」となっていると思うのです。読む人がそれを読んだときに、「言葉」が解釈されその人にとっての「事実」になる。だから一度「言葉」は発信者からも受信者からも離れた全く別のフィールドに置かれてしまうと考えています。
うーん、ぜんぜんわからないですよね・・・。

ここで私がこんなに「言葉」という単語にこだわっているのかというと、そもそもこれについて考え出したきっかけが、朝日新聞の広告だったからです。その新聞で使われている「言葉」という単語に何とは言えない違和感を感じました。

コメントをくれて本当にありがとう!少し頭が整理された気がします。

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